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東京地方裁判所 昭和28年(ヨ)4028号 決定

申請人 皆川延男

被申請人 三井生命保険相互会社

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

申請の趣旨

被申請人が申請人に対し、昭和二十八年五月十五日付でした、申請人を被申請人会社東京第二支社に転勤を命ずる意思表示の効力は、仮にこれを停止する、

との仮処分を求める。

当裁判所の判断の要旨

一、被申請人会社(以下単に会社ともいう)は生命保険業を営む相互会社であり、三井生命従業員組合(以下単に組合という)は会社の内勤職員によつて組織された労働組合で、全国生命保険労働組合連合会(以下単に全生保という)に加盟している。

申請人は会社の本社料金部直納課に勤務する従業員であり、また組合の本部地区に所属する組合員で、本部地区委員長かつ組合の青年部副部長、全生保青年部長の職にあつたが、会社から昭和二十八年五月十八日に、同月十五日付で会社の東京第二支社に転勤を命じられた。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、申請人は右転勤命令を目して、会社が申請人のかつぱつな組合活動を嫌つて、申請人の組合活動を困難にするために発したものであつて、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であると主張するので、以下この点につき判断する。

(一)  申請人は右転勤命令が不当労働行為であることの理由として、まず「(イ)会社における昭和二十八年度の人事定期異動は、同年四月一日に行われたが、本件転勤はこの時期をはずれて発令された。したがつてこの転勤には何らか特別の理由がなければならない。(ロ)ところが会社が本件転勤の理由として説明するところは、東京第二支社の岩井田次長から申請人を懇望されたこと、申請人の自宅が第二支社に近いこと、本支社間の人事交流をはかるためというにあるが、右懇望の事実は全くなく、自宅が第二支社に近いということは、都内店舖間の転勤の理由とされることはなく、第二支社に近い本社勤務の者は、申請人のみに限られているわけではないし、また申請人と同年輩の者では、本社に入社以来支社に出たことのないのがむしろ普通である。(ハ)このように本件転勤命令は何ら業務上の合理的理由なく行われたものであるから、業務上以外のかくされた理由があることが推測される。」と主張する。これに対して、被申請人は「本件転勤は本社審査課に勤務していた岡本義行を、広島支社に転勤させたことに伴う一連の異動であつて、業務上の理由に基く通常の異動の一にすぎない。」と主張する。

疎明によれば次の事実が認められる。

被申請人会社においては、総務部には総務課、人事課外二課があり、人事課で内勤職員の任免、進退、給与等人事一般を取扱つており、通常毎年四月に役付職員を中心とする相当数の人事異動が行われるのであるが、その他営業所の設置により、或は営業成績をあげるための人事刷新としての異動などが随時年間二十回ぐらい行われている。昭和二十八年度には養成所設置という特殊事態もあつたが、四月から十月まで十回程百名くらいの異動が行われた。準備会て通常役付職員の異動については、人事課長と総務課長が協議の上立案し、役員会の決議を経て決定され、一般平職員の異動については、人事課長の命で同課次長が立案し、人事課長が検討の上総務部長の決裁を得たあと、形式的に役員会にまわして決定されることになつている。

被申請人会社の吉沢広島社長は、昭和二十七年四月一日広島支社長に就任してから、同支社の業績をあげるためには尾道方面の地盤を開拓する必要を痛感し、そのためには本社から同地方出身の社員を広島支社に転勤させてもらい、その縁故関係を利用して地盤開拓をしたいと考え、当時たまたま尾道市出身で病気休養中の元本社審査課職員の吉岡隆美が近く出社可能の模様と聞き、吉岡を転勤させてほしいと希望していた。ところで昭和二十八年五月六日から八日まで本社で開かれた支社長会議の席上、広島支社に対して前年度の二倍に当る新契約の責任額を割当てられたので、いよいよ吉沢支社長は平素の希望を実現したいと考え、溝江人事課長を訪ねて、前記吉岡転勤の希望を申出た。しかし人事課長は吉岡の病状はなお当分静養を要する状態で、今すぐは無理であろうと述べたので、支社長はこれを了承し、それでは他にだれか広島方面出身の優秀な内勤職員はいないだらうかと尋ねたところ、たまたま同席していた加藤人事課次長が、審査課の岡本義行は元広島支社勤務で、しかも尾道市出身の筈であると述べた。そこで支社長は岡本の勤務ぶりその他を聞いたところ、優秀な職員であるとのことで、その席上あらためて岡本を広島支社にもらいたいと話した。人事課長は全社的に男子職員が極度に不足しているので、交替人事なら何とか考えてみようと返事した。そこで支社長は同支社の常本勇三が勉強したいと言つているからそれをよこすというと、人事課長は何れ相談の上決定する旨話して別れた。その後人事課長は支社長の要請を妥当なものと考え、加藤次長に常本を本社にとつて、岡本を広島支社に転勤させるからその異動原案をつくるように命じた。その後五月十二、三日頃になつて人事課長が催促したところ、次長はまだ全部できていなかつたが、おおよその構想として審査課の岡本を広島支社に、広島支社の常本を料金部に、岡本の後任には本社内に適当な者がいなかつたので東京第二支社の森島孝明を、森島の後任には森島と同年輩の者及び人事交流、在職年数、住居関係を考慮し、宮坂光一、土屋幸次郎及び申請人の三名を候補者にあげた。右の案をみた人事課長は藤本東京第二支社長が森島を離すかどうかを疑問に思つたが、その翌日頃東京第二支社長に会つたので、森島を本社にもらいたいと話したら、始は困るということであつたが、人事課長が本人を、経理部審査課において仕事を勉強もさせたいと話したところ結局承知したので、後任にその候補者である前記申請人ほか二名を示した。支社長は三人のうち申請人だけは知つているが、他の二人は知らない。なお、帰つて岩井田次長に相談してみるということでその場は別れた。その翌日第二支社長から次長と相談の結果、三人のうちなら申請人を希望すると言つてきた。そこで人事課長は加藤次長をよび、第二支社では申請人を希望していると話して、森島の後任には申請人をあて、申請人の後任に常本を入れることとし、その他はさきの構想どおり異動案を作成した。それから人事課長は山崎総務部長の処に行き、右異動案の詳細を説明した。その際申請人の組合における地位につき話がでたが、組合に対して内示すべき地位ではないから差支えあるまいということで、右異動案どおり同部長の決裁を得て役員会にまわし、五月十五日役員会では何の意見もなく右人事移動は決定した。そして辞令は翌十六日が土曜日であつたため、事務上の関係から五月十八日月曜日の午前中平料金部長を通じて申請人に手渡された。かように認められる。

したがつて本件転勤は会社の業務上の理由に基いてなされたものといわなければならない。

もつとも疎明によれば、本件発令後組合は右発令を不当労働行為であると主張して会社に団体交渉を申入れ、数回団体交渉が行われたが、その席上会社側は総務部長、総務課長、人事課長らが出席し、本件転勤の理由として、申請人は本社に五年程いるので、この際支社に行つて勉強してもらいたいこと、人事交流のため、申請人の自宅が第二支社に近いことというほかに、第二支社の岩井田次長の懇望によるものという説明をくりかえして組合に納得を求め、更に本件発令後たまたま組合の佐藤執行委員が岩井田次長にあつた際、右懇望の事実をたしかめると、同次長はそれを否定したことが認められ、さきに認定したような申請人を転勤させた事情は、本件訴訟の審尋においてはじめて明らかにされたことが認められる。

右に認定したような事情から、組合が本件転勤の理由につき、疑をさしはさんだことは無理からぬことである。しかし人事異動に関し、団体交渉の席上具体的な理由まで明かにすることは、会社の業務上支障をきたすことのありうることも明かであつて、詳細な転勤理由を当時述べずして、訴訟になつて始めて述べたからといつて、それが直ちに不当であり、また虚偽であるともいえないし、また前記岩井田次長と佐藤執行委員との会話も、本社の廊下におけるわずかの間の立ち話であつて、岩井田次長が特に懇望したかのように問われたため、それを否定したまでであること及び人事は秘密にすべきであるとの考慮から、そのような答をしたことも認められるので、右のような事実があつても、それだけでは、さきに認定した転勤理由の認定をくつがえすことはできない。

(二)  次に申請人は「本件発令当時、申請人は組合の本部地区委員長であり、同時に組合の全国組織における本部の代議員で、かつ代議員の中から選出された中央委員であり、中央委員は組合規約によつて組合役員とされている。そして会社、組合間にかつて締結されていた労働協約には、その第十二条に組合役員の人事に関しては予め組合と協議の上実施する旨の規定があり、組合役員の人事異動については予め内示して組合と協議していた。その後無協約になつてからも従来の協約の精神を尊重し、非公式ではあつても会社は内示を行つてきた。しかるに本件発令に際しては何の内示も協議もなく、抜打的に行われた。このことはかくされた理由があるという疑をさらに濃くする。」と主張するので、この点につき判断する。

昭和二十二年一月三十一日締結し、昭和二十四年八月三十一日に失効した労働協約中に、組合役員の人事に関しては予め組合の諒解を得る趣旨の規定のあつたこと、右協約失効後においても、会社は組合三役、執行委員及び監事の役職にある者の異動につき、予め内示を行つていること、本件発令に際し、申請人に対し何の内示も協議もしなかつたことは被申請人も認めるところである。

そして疎明によれば次の事実が認められる。

会社では組合関係の事務につき、内示に関しては人事課で、その他の事務は総務課でとり扱うことになつており、内示は人事課長がその名義で、会社の便箋に書いて(人事課長不在のときは総務課長が作成)、書記長に渡すか、同課次長に組合書記局に持たして渡すかしている。そして少くとも溝江人事課長就任後、組合三役、執行委員、監事以外には右のような形式の内示をしていない。現行組合規約には中央委員が役員とされているけれども、これは昭和二十五年六月頃組合規約改正により、役員の名称が変更になつてからのことであり、その後組合は会社に対して、中央委員についても内示するように要求し、会社組合間の係争の一つとなつている。かように認められるので、中央委員につき内示が必要であるとはいえない。ただ溝江人事課長が知り合いの執行委の者に雑談の際、人事の話がでて中央委員の異動につき一、二もらしたことのあることは認められるけれども、この事から非公式にせよ中央委員につき内示をしていたということはできない。又申請人が本部地区委員長、青年部副部長、全生保青年部長を兼ねていたからといつて、当然内示があつてしかるべきであるともいえない。

よつて此の点に関する申請人の主張も採用することができない。

(三)  続いて申請人が組合の本部地区委員長、青年部副部長、並びに全生保青年部長の職にあり、それぞれの職務に応じて組合活動を行つたこと、例えば昭和二十八年の春季賃上斗争にはビラを配布するなど積極的に活躍し、本部地区の大会には議長として司会をしたことなどが認められるが、申請人の活動が特に際立つて会社の注目をひき、会社がこれをきらつていたことを認めるに足る疎明はない。また申請人は本件発令を、組合の反対斗争力の弱い時期に行われたものであるとか、代議員選挙を控えてなされたのは不当労働行為意思を推測せしめると主張するけれども、本件発令が五月十八日になされた事情はさきに認定したとおりであり、特にそうした意図をもちまたそうした時機をねらつて発したことも認められないから、申請人の右主張も採用できない。

(四)  次に申請人が東京第二支社に転勤すれば、組合の組織上本社は本部地区で、第二支社は関東地区に属するから、今まで申請人が本部地区に属するため有していた本部地区委員長、青年部副部長などの資格を失う結果になり、本社にいれば昼休における組合の会合に出席が可能であるが支社ではそれが、不可能になるなど、申請人個人の組合活動は一時影響を受け、ひいては組合の運営にも多少の不便を生ずるおそれが、ないではないが申請人の転勤命令は前に詳しく述べたような業務上の必要に基いてなされたものであつて、会社が申請人の組合活動をさまたげ、組合を圧迫する意図をもつて本件転勤命令を発したものと認められるような疎明もなく、またこの程度の事実では、申請人に対する転勤命令を目して、いまだ組合に対する支配介入であると認めることはできない。

(五)  申請人はそのほか会社がかつぱつに組合活動をする者を嫌悪し、そのような組合員に対して、転勤とか職制上の上長から忠告するなど組合活動に直接干渉してきたとして、生山省一、林健の転勤などをあげ、また間接的にも組合活動に干渉してきた例として、昭和二十七年六月賃上げ問題に当つて、組合がストライキを行つた際、土居総務課長がストライキ反対派の集会に対し、日本橋会館をあつせんするなどして組合分裂工作をはかつたというけれども、いずれもこれを認めるに足るじゆうぶんな疎明はないから、右のような事実から、本件につき不当労働行為の存在を推測することはできない。

三、以上のように、申請人の本件転勤は会社の組合に対する支配介入行為とは認められないので、申請人の本件申請はその余の主張を判断するまでもなく失当であるから、これを却下することとし、申請費用は敗訴の当事者である申請人に負担させ、主文のとおり決定する。

(裁判官 千種達夫 綿引末男 高橋正憲)

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